最近あまり本を読んでなかったのですが、久々に読みました。『安倍三代』
私の身近にいる ”よく分からないひと” を理解するのに役立つかも・・・なんて思いながら。
そういう人たちが、「なぜそういう行動をするのか?」「そういう行動をするに至った価値観は何か?」「育ちの環境は?」などを勝手に分析したり、考えたり、文化人類学的(?)にアプローチする傾向が私にはあります。安倍晋三 前首相も身近な存在ではないものの、”よく分からない人” です。まあ、あまりにも立ち位置に違いがありすぎるのですが。
『安倍三代』は、ジャーナリストの青木理氏が書いた、安倍家三代に渡るルポタージュで、多くの文献と多くの人への取材をもとに書かれています。
安倍寛(1894~1946)という父方の祖父の人物像から掘り起こし、父である安倍晋太郎(1924~1991)の生い立ちから経歴、さらに安倍晋三(1954~)の生い立ち・経歴に至ります。3人それぞれの育ちの環境、時代の背景が書かれており、人格形成に与えた影響をうかがい知ることができます。戦前・戦中・戦後それぞれの時代に生きる大変さや、山口の片田舎の風景などは、どこはかとなく懐かしくも切なさを感じます。それにしてもこのお三方、それぞれに寂しいなぁ。
安倍寛という方は初めて知りましたが、反骨骨太な生きざまには心打たれます。安倍慎太郎も強烈に孤独な境遇を懸命に努力して這い上がった跡が見て取れます。
安倍晋三は、もちろん2人に比べると遥かに恵まれた環境の中に育ってはいる。その中で残念なことに、自分で必死に考えて努力して積み上げたような形跡は感じられないし、強い意志も議員になる以前には感じられない(首相就任以降は自分で考えた強い意志というよりは屁理屈でしょう。承認欲求でしょう。(虎の威を借る狐でしょう))。でも、それって本人の問題もあるでしょうけど、裕福というか 食べ物に困らず、平和な時代に”良い子”で育った多くの日本人にも見受けられる傾向で、安倍晋三はその圧倒的な先駆者に過ぎないかもしれません。
マズローの欲求段階説
マズローの欲求段階説というものがあります。人間が成長しようとするときにたどる内面的な進歩のステップです。次の段階に行くときに新しい欲求にとって替わられるものではなく、下位の欲求が次の欲求を支えるBASEとなります。段飛ばしはできません。(人間の成長に限らず、社会の成長モデルもこれと同じという話もあります。)
安倍晋三のお父さん、安倍晋太郎は家にほとんどおらず子育てをしていなかった。政治家で多忙ということもあったでしょうけど、この時代、高度経済成長時代の日本はどこもわりとそういう風潮だったはず。
安倍晋三には、愛・所属のneedsがうまく満たせていない。自分で努力してなにかを積み上げた経験やそこから得られる自己肯定感もあやしい。そこらへんが脆弱だからその上段の【承認】が積み上がらない。足元を見直すこともできずに必死になって自分の権力/正当性を認めろ!と、あらゆる詭弁と屁理屈と強引な手法で前に進めようとする。きちんと積み上げてない上に無理に積むと全体が崩壊してしまいそうなもんです。(まあ瓦解はどこかで起こるでしょう・・・。)
安倍晋三 安倍晋三って敬称略して偉そうに書いてしまい失礼しましたが、愛・所属のneedsが満たせているのか、自分も足元を見なおして頼りないなぁ~って思ってるんです。日本社会全体としても、昨今この3段目がとてもあやしいです。
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